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page_bill.png全国リヤカー行脚 “MAKE” THE ROAD / 田中克成プロフィール

立志出版社 代表取締役社長 田中克成 プロフィール

田中克成 Katsunari Tanaka
■編集者・出版プロデューサー
■プロフィールライター
株式会社立志出版社代表取締役。OFFICE1019東京企画事務所代表。
4000人の著者プロフィールを研究し日本初のプロフィールライターとして独立。2010年、本田健氏×ロッキー・リャン氏の2000人講演の企画・総指揮を務める。2011年より本格的に出版業界に身を置き、レディー・ガガ、エリック・クラプトンの整体師として知られる武富ゆうすけ氏、イチロー、松井秀喜のメンタルトレーナー高畑好秀氏らをはじめ、17名の業界第一線のリーダーたちを次々と世に輩出。出版決定率100%は業界でも異例中の異例と言われる。
12年、高取宗茂氏との出逢いに衝撃を受け、翌13年5月、高取宗茂著『道に迷う若者へ』を唯一の出版物に立志出版社を創設。麻生太郎元総理大臣、鳩山邦夫元大臣、アキノ大統領らからの祝電も寄せられた設立パーティーには200名を超える経営者が参列し話題となる。
同年10月、同書をリヤカーに積み込み全国47都道府県リヤカー行脚をスタート。「3年で100万部を販売する」自ら課した宣言を果たすべく、現在も田中の挑戦は続いている。


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■職業:出版社・プロデュース事務所経営
■生年月日:1977年1月29日生まれ
■血液型:A型
■出身地:長崎県西彼杵郡長与町
■出身校:大東文化大学文学部卒
■座右の銘:人事を尽くして天命を待つ

立志尚特異。立志出版社。

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「たった1冊の本との出会いが一人の人間の人生を変え、

 その人間が業界を変え、業界が国を変え、

 ゆくは世界を変えて時代を創る。

 日本最小ですが、歴史上最高の出版社となります。」

ある経営者との出会いで、私は出版社を立ち上げることになった。
その経営者が歩んできた半生を、深夜3時過ぎまで夢中になって聴いた。
一つひとつの言葉は生々しく、厳しく、そして、優しさに溢れていた。
人生の両極を体験し、生き抜き、勝ち抜いてきた者にしか語れない真実の言葉を彼は語った。


帰宅後、経営者が書き記していたコラムを読み、涙が止まらなくなった。
綴られている言葉は、強くて、厳しい。
しかし、行間から伝わる感情はとてつもなく優しさに溢れ、愛に満ちていた。
「それでいい。生きろ」と訴えかけてくる。
職業上、数多くのリーダーたちの活字には触れてきた。
未だかつて、これほどの行間を伝えられる文章に出逢ったことは一度もなかった。

「この本を出版し、後世に残さなければならない」


気付けば、腹の底からこみ上げて来る使命感に満たされていた。

「これだ!こういう本を時代は求めているはずだ!」


彼が綴る言葉の端々には、4年前のあの日、
私が子どもたちに宛てた遺書の中で書けなかった「リアル」があった。





2009年5月25日深夜。
私は当時4歳と2歳だった小さな我が子に宛てて、遺書を書いていた。
彼らが大人になって道に迷った時、読んで欲しいと綴ったメッセージだ。
内容は遺書というよりは、啓蒙に近い。
「諦めるな」「何が起こっても大丈夫だ」「人生は振り子だ。今を耐えろ」
そんなことをひたすらに綴った。
特に、「諦めるな」という言葉は、
それ以来の私にとって切っても切り離せない縁の深い言葉となった。


「諦めるな」「諦めるな」「諦めるな」


遺書などというものを書いている私が、
子どもたちには絶対に自分の人生や可能性を諦めて欲しくはなかった。
それが、これから忽然と姿を消そうとしている私が、
父親として最愛の子どもたちに遺せる唯一のメッセージだった。


遺書の中で、書ききれなかったことがある。
それは、「諦めなければ何がどう大丈夫なのか?」という問に、
具体的な実証を示すことができなかったことだ。
当時の私には、仮説だけがあってリアルが存在していなかった。
結局死ぬこともできなかった私は、
今日に至るまでそのリアルを探し求める人生を歩んできた。


様々なご縁が相まって、私は天職に巡り合うことができた。
クライアントにミッションを達成していただくために、
言葉を使って尽力する。それが私の仕事だ。


はじめはプロフィールライターという職業を創った。
クライアントの人生を通しミッションを導き出す。
その人のバックボーンをコピーライティングした。


「なぜ、今の仕事をしているのか?」
「そのきっかけは何だったのか?」
「人生を通し、何を伝えたいのか?」


そんなことの繰り返すうちに、
想いを実現するための出版をプロデュースするようになった。
本を出したいクライアントの出版企画を起こし、出版社に売り込む仕事だ。


私がプロデュースした企画は、次々と出版が決まった。
出版プロデュース業界では異例の出版決定率100%。
噂が噂を呼び、出版を希望する方からのオファーは相次いだ。


しかし、14人目の出版を決めたとき、私の心は再び折れかけていた。
「生き様」「信念」「存在意義」を伝承するメッセージを、彼らも私も求めていた。
そうした本を決める事ができない自分の無力さを痛感する他なかった。


すべてを諦め、地元である長崎に帰ろうと決めた。
地元に戻り、身の丈に合った人生を送ろう。
夢や希望などは抱かず、恙ない人生をひっそりと生きよう。


そんな時、友人の紹介で一人の経営者と出逢った。
私の話をすべて受け取った彼は言った。


「それでも、お前の信念を通せ」


彼の魂を震わせる言葉に出逢った私は、
もう一度、挑戦することを、そして、二度と諦めないことを決意した。





この本を世に広めることは、私に与えられた責任だと思っている。
それは、出版に携わる者としての他に、一人の父親としての責任でもある。
あの時、書ききれなかったリアルが存在するこの本は、
私の子どもだけに留まらず、方向性を見失った多くの人々に真の希望を与えることができる。
そして、やがてはこの日本という祖国をも立て直すことになると確信している。


「立志出版社」とは、
読んで字の如く、「志を立てる出版社」という想いを込めて命名した。


「立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)」


幕末の世に日本の片田舎から確固たる志によって、
日本の未来を切り拓いた吉田松陰先生が遺した有名な言葉だ。


立志出版社は、物語を演じる舞台に過ぎない。
舞台はやがて老朽し滅びる時期がやってくるだろう。
しかし、そこで演じられた物語は、
300年後の日本へと子々孫々語り継がれることになる。


「諦めるな」「諦めるな」「諦めるな」


立志出版社は、この時代を生きる侍たちの物語を、ただひたすら後世に伝承する。


株式会社立志出版社 代表取締役社長
田中 克成

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